下丸子村
しもまるこむら
多摩川に面した低地の村で、東は矢口村、北は鵜ノ木村・嶺村。多摩川を挟んで南の対岸は橘樹郡上平間村(現神奈川県川崎市中原区)、西は同郡中丸子村(現同上)。古くは多摩川が当村の北側を流れ、中丸子村・上丸子村(現川崎市中原区)とともに橘樹郡に属していたともいう(風土記稿)。中世には下丸子・中丸子・上丸子に上平間などを含めた一帯に丸子庄・丸子保が成立していた。田園簿の荏原郡に村名がみえ、田方一四五石余・畑方九七石余、ほかに見取場田四町五反余・畑一一町七反余があり、すべて幕府領。寛文二年(一六六二)大坂城代青山宗俊領となるが、延宝六年(一六七八)封地変更で幕府領に復帰(寛政重修諸家譜・風土記稿)。
下丸子村
しもまるこむら
[現在地名]丸子町大字下丸子
依田窪の北部依田川東岸の村。東の段丘上には条里的遺構を残す水田地帯が南の中丸子村より続く。東は藤原田村、西は依田川を隔てて飯沼村、南は中丸子村、北は長瀬村と境をなす。村を南北に諏訪道(現主要地方道上田―茅野線)が通じ、道に沿う本郷のほか、東部山麓寄りの塩川上堰・同下堰沿いに枝郷八ッ口集落がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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