二〇世紀初めイギリスに登場した「田園都市運動」の影響のもとに、第一次世界大戦期から、本格的に東京近郊でも建設が進められて実現した当時の新しい都市計画開発地域。現在田園調布は高級住宅街と評価されているが、本来それは通勤者のベッドタウンとして、東京南西郊で造成・分譲された近郊住宅地の一例である。
田園都市理論を提唱したE・ハワードによれば、「田園都市」(
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東京都大田区の北西端の地名。多摩川に臨み,神奈川県に対する。1889年成立の調布村の一部であったが,大正時代に導入された田園都市運動の一環として,渋沢栄一が1918年に田園都市株式会社を設立,住宅地を造成した際に田園の2字を冠して田園調布とした。現在の東急東横線・目黒線田園調布駅西口の駅前広場を中心に放射路,環状路を設置し,一区画100~500坪(330~1650m2)の上・下水道完備の高級住宅地として売り出された。庭の広い和洋の高級住宅が整然と並び,日本では珍しい景観を見せている。付近に亀甲山(きつこうやま)古墳(史)などの古墳や桜の名所として知られる多摩川台公園,宝来公園があり,田園コロシアム(89年閉鎖)や読売巨人軍多摩川グラウンドなどのスポーツ施設もある。
執筆者:正井 泰夫
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…しかし,これらの大部分は大都市の一部としての田園郊外開発かベッドタウン的なもので,ハワードの提唱する田園都市型のものはきわめて少ない。日本でも渋沢栄一らが中心となって大正末期,田園都市株式会社が設立され,田園郊外開発型の1~2戸建高級住宅街が田園調布に建設され,また阪神地方でも同種の住宅地区が出現した。第2次大戦後,大都市郊外の鉄道沿線で,駅を中心に公共セクターや民間セクターにより大規模な宅地開発が盛んに行われたが,戦後の高地価,宅地難のため過小宅地が多く,田園調布のような高水準に達していない状況にある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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