六郷用水(読み)ろくごうようすい

日本歴史地名大系 「六郷用水」の解説

六郷用水
ろくごうようすい

六郷川(多摩川河口部の旧称)左岸の六郷領の新田開発に供するため、慶長年間(一五九六―一六一五)幕府代官小泉次太夫吉次が幕命を受けて開削した用水。次太夫じだゆう堀と通称された。宝暦二年(一七五二)の新用水堀定(平川家文書)によると、慶長以前の六郷領は六郷川沿岸に立地しながら用水不足に悩まされ、わずかに千束せんぞく池と市野倉いちのくら村の溜池からの流水に依存していた。そのため各村とも七、八軒が点在するにすぎない寒村で、開発のための用水確保が望まれていたという。慶長二年に安方やすかた名主宅に用水路予定地の世田谷領・六郷領諸村の名主が集められて事業計画が発表され、名主らを案内役に水路の測量が行われた。同四年開削工事に着工。なおこのとき右岸二ヶ領にかりよう用水(稲毛川崎二ヶ領用水)の開削工事も同時に着手され、両工事は徴発される百姓の負担などを考慮して三ヵ月交替で交互に行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の六郷用水の言及

【多摩川】より

… 多摩川流域では支流の沿岸などに弥生時代後期から水田が作られたが,近世に入って用水路の建設が積極的にすすめられ,流域の新田開発が行われた。特に,代官小泉次太夫吉次が工事にあたった左岸側の六郷用水と右岸側の二ヶ領用水(ともに1611完成)により多摩川の沖積平野に水田が開け,明治末期にはその面積は最大となった。また自然堤防上などではクワ,ナシ,モモなども栽培され,特に中流部の川崎側は〈多摩川ナシ〉の産地として知られた。…

※「六郷用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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