朝日日本歴史人物事典 「鵜殿長鋭」の解説
鵜殿長鋭
生年:文化5(1808)
幕末の幕臣。熊倉茂寛の次男,文化14(1817)年鵜殿長快の養子となる。嘉永1(1848)年目付,同5年諸大夫に列し民部少輔と称する。同6年ペリー来航時には海防掛目付として国交拒絶を主張したが,安政1(1854)年ペリー再来時には応接掛のひとりとして日米和親条約,同付録(下田追加条約)を締結。通商条約交渉においてもハリス上府用掛のほかオランダ理事官参府用掛などを務める。一橋派に与し,同5年,安政の大獄の影響で井伊直弼により駿府町奉行に左遷され,翌年隠居。万延1(1860)年には剃髪して鳩翁と称した。文久3(1863)年将軍徳川家茂上洛に際し,命により浪士組を組織したがまとまらず,職を辞して以後仕えず。明治維新後静岡に移った。<参考文献>「幕府名士小伝」(『旧幕府』1巻2号)
(岩壁義光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報