鶏冠井村(読み)かいでむら

日本歴史地名大系 「鶏冠井村」の解説

鶏冠井村
かいでむら

[現在地名]向日市鶏冠井町

向日丘陵東側の台地からかつら川の氾濫原に位置する。西は向日町、北は白井しらい村・西土川にしつちかわ村。

古代の長岡宮の大極殿・八省院・内裏の所在地である。条里は九条蝦手(鶏冠井)里・弓絃羽ゆずりは里にあたる。弓絃羽里は永久元年(一一一三)一二月日付玄蕃寮牒案(柳原家記録)が初見で、一一ヵ坪に散在する六町七反一八〇歩が高畠四箇所陵戸田とされている。蝦手は延久四年(一〇七二)九月五日付の太政官牒(石清水文書)には「蝦手井」と記され、荘園を停止された石清水いわしみず八幡宮寺領の一としてみえる。蝦手井の読みは不明であるが、カエルテイ、あるいはカテイであろう。安元二年(一一七六)鶏冠井殿が現れ、住人がその寄人となっており、安貞二年(一二二八)を初見に徳大寺家領鶏冠井庄となる(三鈷寺文書)。鎌倉時代前期、九条道家が設立した小塩おしお庄の荘田は当村にもあり、大永二年(一五二二)小塩荘帳(寛文一〇年写、九条家文書)には「かいて村」として九筆計一町一段六〇歩が記される。久我家文書「久我荘名田并散田等帳」所載の条里指図(室町中期)には、弓絃羽里の下に「カイテ井」と記す。その左側は蝦手里で、カイテ井が弓絃羽里まで広がっていることを示すものであろう。

鎌倉時代後期、日蓮宗の西国弘通を目指した日像が当村にも布教し、真言しんごん寺住持実賢が改宗して真経しんきよう寺となり、関西における最初の日蓮宗寺院となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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