日本歴史地名大系 「鶴峯八幡神社」の解説 鶴峯八幡神社つるがみねはちまんじんじや 宮城県:黒川郡大和町宮床村鶴峯八幡神社[現在地名]大和町宮床 赤坂字赤坂(あかさか)にある。「黒川郡誌」所載の「奥州黒川郡宮城郡惣鎮守古代一之宮鶴峯三社大明神鶴ケ峯山御田遊記写」なる一文によると鶴峯八幡社・鳴上加茂(なるかみかも)神社・諏訪神社の三社を合祀したものであるという。勧請年月も人も別で、鶴峯八幡は推古帝六年勧請(観蹟聞老志)。鳴上加茂神社は貞和元年(一三四五)一関(いちのせき)城(現富谷町)城主黒川氏友が勧請し西ノ宮大明神と称し、その子治氏は永和二年(一三七六)一宮鳴上大明神と称し、さらに享保一五年(一七三〇)鳴上賀茂神社と称したという。諏訪神社は、鴇田国種が黒川氏より宮床村を与えられたとき、信州より勧請したと「御田遊記」のうちの「縁起」に記してある。三社とも明治七年(一八七四)焼失の後再建された。近世に入って、永らく廃退していた神社を宮床伊達氏から五代藩主になった吉村は神社の縁起書を提出させ保護を加えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by