鶴脛町(読み)つるはぎちよう

日本歴史地名大系 「鶴脛町」の解説

鶴脛町
つるはぎちよう

[現在地名]上山市松山まつやま一―二丁目・元城内もとじようない・鶴脛町一―二丁目・二日町ふつかまち沢丁さわちよう新湯しんゆ四ッ谷よっや一丁目・大石おおいし一―二丁目・朝日台あさひだい二丁目・鶴脛町

上山城下の武家居住地と湯町が合併し、明治七年(一八七四)に成立した町。それ以前はなか丁・あら町・天神てんじん丁・赤山あかやま丁・軽井沢かるいざわ御井戸おいど丁・鏡橋かがみはし城北しろきた丁・切通きりどおし・した丁・沢丁・漉屋すきや新町と湯町である。正保城絵図(内閣文庫蔵)および「上山見聞随筆」付図集によると、侍屋敷は城内二の丸、城郭の北・西・南一帯に配置され、その周辺に足軽・中間屋敷があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む