日本歴史地名大系 「鶴脛町」の解説 鶴脛町つるはぎちよう 山形県:上山市上山城下鶴脛町[現在地名]上山市松山(まつやま)一―二丁目・元城内(もとじようない)・鶴脛町一―二丁目・二日町(ふつかまち)・沢丁(さわちよう)・新湯(しんゆ)・四ッ谷(よっや)一丁目・大石(おおいし)一―二丁目・朝日台(あさひだい)二丁目・鶴脛町上山城下の武家居住地と湯町が合併し、明治七年(一八七四)に成立した町。それ以前は仲(なか)丁・荒(あら)町・天神(てんじん)丁・赤山(あかやま)丁・軽井沢(かるいざわ)・御井戸(おいど)丁・鏡橋(かがみはし)・城北(しろきた)丁・切通(きりどお)し・木(き)の下(した)丁・沢丁・漉屋(すきや)・新町と湯町である。正保城絵図(内閣文庫蔵)および「上山見聞随筆」付図集によると、侍屋敷は城内二の丸、城郭の北・西・南一帯に配置され、その周辺に足軽・中間屋敷があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by