上山城下(読み)かみのやまじようか

日本歴史地名大系 「上山城下」の解説

上山城下
かみのやまじようか

西の虚空蔵(こくぞう)山、東の前(まえ)川を基本的な防衛線とし、城の東を南北に羽州街道が通り、町人町が形成される。武家町は主として城の西と北に配置され、城下からの各出入口には足軽・中間屋敷や寺院が置かれた。正保城絵図(内閣文庫蔵)によれば、本丸・二の丸は二重の堀で囲まれ、大手門は東に開いている。羽州街道は南端で前川を渡るが、何度か鉤形に折れ、枡形も設けられている。南から二日(ふつか)町・十日(とおか)町・北(きた)町と続き、その東側に裏(うら)町が並行している。このような形は天文四年(一五三五)上山城築城の際に、八幡(はちまん)河原を流れていた前川に堤塘を築いて東に移し、川原跡を開拓して道路を造り、城下町を整備したといわれる(上山繁昌記)。元和八年(一六二二)最上氏改易のとき、上山城とともに城内二の丸・二日町・湯(ゆ)の小路・その他の家中屋敷が接収されている(上山年代略記)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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