朝日日本歴史人物事典 「鷹司基忠」の解説
鷹司基忠
生年:宝治1(1247)
鎌倉中・後期の公卿。父は摂政鷹司兼平。母は権大納言藤原実有の娘。康元1(1256)年叙爵。翌年従三位(非参議)に叙して公卿に列す。累進して弘長2(1262)年には内大臣,文永2(1265)年右大臣,同5年従一位に昇る。同年末左大臣になり,また関白・氏長者となった。基忠の昇進は早いが,九条家の没落がその一因をなしている。また氏長者としての実権は父の兼平が握っており,基忠は名目上の長者にすぎなかった。5年後に摂関・氏長者をやめ,一時太政大臣に任じるが,これ以後は散官であった。正和1(1312)年出家。法名理勝。円光院殿と称す。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報