鷹司基忠(読み)たかつかさ・もとただ

朝日日本歴史人物事典 「鷹司基忠」の解説

鷹司基忠

没年正和2.7.7(1313.7.30)
生年宝治1(1247)
鎌倉中・後期の公卿。父は摂政鷹司兼平。母は権大納言藤原実有の娘。康元1(1256)年叙爵。翌年従三位(非参議)に叙して公卿に列す。累進して弘長2(1262)年には内大臣,文永2(1265)年右大臣,同5年従一位に昇る。同年末左大臣になり,また関白氏長者となった。基忠の昇進は早いが,九条家の没落がその一因をなしている。また氏長者としての実権は父の兼平が握っており,基忠は名目上の長者にすぎなかった。5年後に摂関・氏長者をやめ,一時太政大臣に任じるが,これ以後は散官であった。正和1(1312)年出家。法名理勝。円光院殿と称す。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷹司基忠」の解説

鷹司基忠 たかつかさ-もとただ

1247-1313 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
宝治(ほうじ)元年生まれ。鷹司兼平の子。文永5年従一位。同年から10年まで関白,弘安(こうあん)8年から10年まで太政大臣。円光院入道前関白とよばれる。正和(しょうわ)2年7月7日死去。67歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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