鷹司兼平(読み)たかつかさかねひら

改訂新版 世界大百科事典 「鷹司兼平」の意味・わかりやすい解説

鷹司兼平 (たかつかさかねひら)
生没年:1228-94(安貞2-永仁2)

鎌倉中期の公卿鷹司家始祖関白近衛家実の四男。11歳で従三位に昇り,連年累進して内大臣,右大臣を歴任し,19歳で左大臣に進んだ。1252年(建長4)兄近衛兼経の譲をうけて摂政に補され,その年末には太政大臣に任ぜられて,翌年正月後深草天皇の元服の加冠役を奉仕した。ついで関白となり,61年(弘長1)これを一条実経に譲ったが,75年(建治1)再び摂政に任ぜられ,ついで関白に移った。こうして前後23年の長きにわたって執政の任にあったが,87年(弘安10)関白を二条師忠に譲り,90年(正応3)63歳をもって出家し,覚理と称した。没年67歳。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷹司兼平」の解説

鷹司兼平 たかつかさ-かねひら

1228-1294 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
安貞2年生まれ。近衛家実の4男。宝治(ほうじ)2年従一位。建長4年摂政,太政大臣,6年関白となり弘長(こうちょう)元年辞任。建治(けんじ)元年ふたたび摂政,弘安(こうあん)元年から10年まで関白。称念院入道前関白とよばれる。五摂家のひとつ鷹司家の祖。日記に「称念院関白記」がある。永仁(えいにん)2年8月8日死去。67歳。

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世界大百科事典(旧版)内の鷹司兼平の言及

【鷹司家】より

…藤原氏北家の嫡流,五摂家の一つ。近衛家実の四男兼平を始祖とし,家号は兼平の殿第が鷹司室町にあったのに由来するが,また楊梅小路に面した猪隈殿をも伝領したため,楊梅の称もある。鎌倉時代の初めから近衛・九条両家の対立が激しくなったが,承久の乱後,九条道家とその3人の子が相ついで摂関の地位を占め,九条家の全盛をほこった。しかし1246年(寛元4)に起きた前将軍藤原頼経(道家の男),名越(北条)光時らの謀反陰謀事件により,道家とその男摂政実経が失脚し,近衛兼経が摂政に再任されて,近衛家の得意時代を迎えた。…

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