蛇行しながら南西流する土岐川西岸丘陵部にある。虎渓山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊は釈迦如来。寺伝によると、正和二年(一三一三)夢窓疎石が法弟元翁本元(仏徳禅師)を伴い
暦応二年(一三三九)三月二七日には勅願寺とする綸旨(永保寺文書、以下とくに断らない場合は同文書)が出され、翌二八日付の室町准后尊融書状には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は虎渓山。虎渓の称は景致が中国廬山の虎渓に似ていることによる。1313年(正和2),土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創したが,17年(文保1)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京し,35年(建武2)夢窓が臨川寺(京都)開山となったとき,永保寺開山は元翁本元に改められた。元翁の寂年は1331年(元弘1)で,開山となった時はすでに遷化していたが,元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開した。文明期以後衰微したが,江戸時代の1746年(延享3)には末寺28ヵ寺,孫末寺1ヵ寺を有した。山内塔頭(たつちゆう)の輪番によって住持をつとめ護持されていた。近世末期には妙心寺派下白隠慧鶴の一系に属する春応禅悦(霊機神応禅師)が僧堂を開いている。現存する開山堂と観音堂(本堂)は国宝に指定され,両堂には南北朝期から室町初期における歴代住持や檀那の位牌が納められ,開山堂には元翁本元と夢窓疎石の木像を安置する。絹本着色千手観音像(重要文化財)のほか,夢窓や元翁の墨跡など数多くの文化財を所蔵し,観音堂前の庭園は臥竜池と称する池に反り橋の無際橋がかかり,浄土教的庭園の様式を感じさせる名庭で,国の名勝。建築・庭園・墨跡など禅の美術で注目される禅寺であるとともに,雲水が禅の修行に励む南禅寺派の専門道場(僧堂)である。
執筆者:竹貫 元勝
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岐阜県多治見(たじみ)市虎渓山(こけいざん)町にある臨済宗南禅寺派の寺。虎渓山と号する。夢窓疎石(むそうそせき)が、隠棲(いんせい)していた古渓(のちに虎渓)の地に1313年(正和2)土岐頼氏(ときよりうじ)の援助で創建した。開基は元翁本元(仏徳禅師)とされる。応仁(おうにん)の乱(1467~77)のとき兵火にかかり、開山堂と観音堂だけが残った。寺は土岐川の渓流に臨み、梵音巌(ぼんのんがん)とよばれる背後の断崖(だんがい)から滝が流れ落ちる幽境の地にあり、その自然を巧みに取り入れた夢窓疎石作の庭園は国の名勝に指定されている。観音堂は和様・唐(から)様折衷の建築で、一重の裳階(もこし)をもつ入母屋(いりもや)、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根は強い反りをもち、室町初期の唐様をよく表している。1352年(正平7・文和1)足利尊氏(あしかがたかうじ)が建てたと伝えられる開山堂は室町時代禅宗建築の代表例で、観音堂とともに国宝に指定されている。寺宝の千手(せんじゅ)観音画像は国の重要文化財。
[菅沼 晃]
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虎渓(こけい)寺・古渓寺・巨景山とも。岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺。虎渓山と号す。1313年(正和2)に夢窓疎石(むそうそせき)が法弟元翁本元(げんおうほんげん)をともない長瀬山に庵を結んだことに始まるという。山の境地が中国廬山の虎渓に似ていることから虎渓山と名づけられた。39年(暦応2・延元4)3月に勅願寺となる。観音堂前の庭園は国名勝。観音堂・開山堂(国宝),「千手観音像」(重文)などがある。
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