永保寺(読み)エイホウジ

デジタル大辞泉 「永保寺」の意味・読み・例文・類語

えいほう‐じ【永保寺】

岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は虎渓山。開創は正和2年(1313)、開山は夢窓疎石むそうそせき、開基は土岐頼氏。夢窓作の庭園は国指定名勝。観音堂開山堂は国宝。

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精選版 日本国語大辞典 「永保寺」の意味・読み・例文・類語

えいほう‐じ【永保寺】

  1. 岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は虎渓山。正和二年(一三一三夢窓疎石の開創。座禅修道の専門道場。唐様の開山堂と鎌倉建築の観音堂は国宝。夢窓疎石作の庭園は国名勝。えいほじ。古渓寺。巨景寺。

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日本歴史地名大系 「永保寺」の解説

永保寺
えいほうじ

[現在地名]多治見市虎渓山町

蛇行しながら南西流する土岐川西岸丘陵部にある。虎渓山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊釈迦如来。寺伝によると、正和二年(一三一三)夢窓疎石が法弟元翁本元(仏徳禅師)を伴い長瀬ながせ山に庵を結んだことに始まるといい、山の境致が中国廬山の虎渓こけいに似ていることから、虎渓山と名付けられたとされる。山名は初め虎渓と号したがその後古渓となり、さらに巨渓と記されるようになったといい、夢窓疎石のいた庵は華蔵と称されたという(「臥雲日件録抜尤」寛正六年八月一五日条)。寺名も初め虎渓寺・古渓寺と史料に現れるが、観応二年(一三五一)頃を境に巨景山永保寺とみえるようになる。夢窓疎石は文保元年(一三一七)に京へ上ったが、元翁は元徳元年(一三二九)京都南禅寺住持となるまでここに住したと思われ、その後の住持はほぼ元翁の法系が相承した。

暦応二年(一三三九)三月二七日には勅願寺とする綸旨(永保寺文書、以下とくに断らない場合は同文書)が出され、翌二八日付の室町准后尊融書状には南宮なんぐう(現不破郡垂井町)領家得分のうち半分を「古渓寺」に寄進するとある。

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改訂新版 世界大百科事典 「永保寺」の意味・わかりやすい解説

永保寺 (えいほじ)

岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は虎渓山。虎渓の称は景致が中国廬山の虎渓に似ていることによる。1313年(正和2),土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創したが,17年(文保1)夢窓は同門の元翁本元仏徳禅師)に寺の後事を託して上京し,35年(建武2)夢窓が臨川寺(京都)開山となったとき,永保寺開山は元翁本元に改められた。元翁の寂年は1331年(元弘1)で,開山となった時はすでに遷化していたが,元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開した。文明期以後衰微したが,江戸時代の1746年(延享3)には末寺28ヵ寺,孫末寺1ヵ寺を有した。山内塔頭(たつちゆう)の輪番によって住持をつとめ護持されていた。近世末期には妙心寺派下白隠慧鶴の一系に属する春応禅悦(霊機神応禅師)が僧堂を開いている。現存する開山堂と観音堂(本堂)は国宝に指定され,両堂には南北朝期から室町初期における歴代住持や檀那の位牌が納められ,開山堂には元翁本元と夢窓疎石の木像を安置する。絹本着色千手観音像(重要文化財)のほか,夢窓や元翁の墨跡など数多くの文化財所蔵し,観音堂前の庭園は臥竜池と称する池に反り橋の無際橋がかかり,浄土教的庭園の様式を感じさせる名庭で,国の名勝。建築・庭園・墨跡など禅の美術で注目される禅寺であるとともに,雲水が禅の修行に励む南禅寺派の専門道場(僧堂)である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「永保寺」の意味・わかりやすい解説

永保寺
えいほうじ

岐阜県多治見(たじみ)市虎渓山(こけいざん)町にある臨済宗南禅寺派の寺。虎渓山と号する。夢窓疎石(むそうそせき)が、隠棲(いんせい)していた古渓(のちに虎渓)の地に1313年(正和2)土岐頼氏(ときよりうじ)の援助で創建した。開基は元翁本元(仏徳禅師)とされる。応仁(おうにん)の乱(1467~77)のとき兵火にかかり、開山堂と観音堂だけが残った。寺は土岐川の渓流に臨み、梵音巌(ぼんのんがん)とよばれる背後の断崖(だんがい)から滝が流れ落ちる幽境の地にあり、その自然を巧みに取り入れた夢窓疎石作の庭園は国の名勝に指定されている。観音堂は和様・唐(から)様折衷の建築で、一重の裳階(もこし)をもつ入母屋(いりもや)、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根は強い反りをもち、室町初期の唐様をよく表している。1352年(正平7・文和1)足利尊氏(あしかがたかうじ)が建てたと伝えられる開山堂は室町時代禅宗建築の代表例で、観音堂とともに国宝に指定されている。寺宝の千手(せんじゅ)観音画像は国の重要文化財。

[菅沼 晃]


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百科事典マイペディア 「永保寺」の意味・わかりやすい解説

永保寺【えいほじ】

岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺。本尊釈迦如来。夢窓疎石の庵居を開創とし,開山は仏徳禅師。1314年建立と伝える観音堂,1352年建立と伝える開山堂は国宝で,構造や細部の手法でも室町時代の唐様建築の代表例として貴重。ほか聖観音菩薩座像や絹本著色千手観音像などの重要文化財があり,庭園は国指定名勝。
→関連項目唐様多治見[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永保寺」の意味・わかりやすい解説

永保寺
えいほうじ

岐阜県南部,多治見市北部の虎渓山にある臨済宗の寺。夢窓疎石が庵居を結んでいたところに元翁本元が建てた禅寺で,虎渓山と呼ばれ中世禅寺の境地をよく残している。鎌倉時代末期に建立の仏殿にあたる観音堂は池に面して建ち,若干の和様化をみせる。疎石と本元をまつる開山堂 (南北朝時代) は祀堂と礼堂を連ねた最古の例で,観音堂とともに国宝に,また庭園は国の名勝にそれぞれ指定されている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「永保寺」の解説

永保寺
えいほうじ

虎渓(こけい)寺・古渓寺・巨景山とも。岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺。虎渓山と号す。1313年(正和2)に夢窓疎石(むそうそせき)が法弟元翁本元(げんおうほんげん)をともない長瀬山に庵を結んだことに始まるという。山の境地が中国廬山の虎渓に似ていることから虎渓山と名づけられた。39年(暦応2・延元4)3月に勅願寺となる。観音堂前の庭園は国名勝。観音堂・開山堂(国宝),「千手観音像」(重文)などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「永保寺」の解説

永保寺
えいほうじ

岐阜県多治見市にある臨済宗の寺
1314年夢窓疎石が足利尊氏の本願により観音堂を創建したのが始まり。応仁の乱(1467〜77)以後衰えたが江戸初期に再興。観音堂は禅宗様の遺構として,1352年建立の開山堂とともに国宝である。

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デジタル大辞泉プラス 「永保寺」の解説

永保寺

岐阜県多治見市にある寺院。臨済宗南禅寺派。山号は虎渓山。1313年、夢窓疎石の開創と伝わる。庭園は国の名勝、観音堂と開山堂は国宝に指定。

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