朝日日本歴史人物事典 「鷹司師平」の解説
鷹司師平
生年:延慶3(1310)
鎌倉末期・南北朝時代の公卿。昭光院関白と号す。摂関家のひとつ鷹司家第6代,実父は関白冬平であるが,叔父で冬平の後嗣となった冬教の養子として家を継いだ。母は左中将近衛兼良の娘あるいは中将長平の娘といわれている。正中2(1325)年叙爵,嘉暦2(1327)年従三位,翌年権中納言に任ぜられてから順調に累進し,南北朝時代には北朝にとどまり,暦応2/延元4(1339)年右大臣に,康永1/興国3(1342)年には関白・氏長者となり,翌々年には位も従一位となった。貞和2/正平1(1346)年に関白を辞任,以後は中風の病になやみ,亡くなる前日に京都・栂尾高山寺の慈弁を戒師として出家,法名を禅理と号した。
(飯倉晴武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報