鷹司師平(読み)たかつかさ・もろひら

朝日日本歴史人物事典 「鷹司師平」の解説

鷹司師平

没年文和2/正平8.8.5(1353.9.3)
生年延慶3(1310)
鎌倉末期・南北朝時代公卿。昭光院関白と号す。摂関家のひとつ鷹司家第6代,実父は関白冬平であるが,叔父で冬平の後嗣となった冬教の養子として家を継いだ。母は左中将近衛兼良の娘あるいは中将長平の娘といわれている。正中2(1325)年叙爵,嘉暦2(1327)年従三位,翌年権中納言に任ぜられてから順調に累進し,南北朝時代には北朝にとどまり,暦応2/延元4(1339)年右大臣に,康永1/興国3(1342)年には関白・氏長者となり,翌々年には位も従一位となった。貞和2/正平1(1346)年に関白を辞任,以後は中風の病になやみ,亡くなる前日に京都・栂尾高山寺の慈弁戒師として出家,法名を禅理と号した。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鷹司師平」の解説

鷹司師平 たかつかさ-もろひら

1310-1353 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
延慶(えんきょう)3年生まれ。鷹司冬平の子。鷹司冬教(ふゆのり)の養子。康永元=興国3年関白となった。康永3=興国5年従一位。昭光院前関白とよばれる。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年8月6日死去。44歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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