オゴタイハン国(読み)オゴタイハンコク(その他表記)Ögedei Ulus

デジタル大辞泉 「オゴタイハン国」の意味・読み・例文・類語

オゴタイ‐ハンこく【オゴタイハン国】

モンゴル帝国四ハン国の一。1224年、オゴタイがジュンガリア地方に建国。都はエミル。朝のハン位継承をめぐって元と対立、40年に及ぶハイドゥの乱を引き起こしたが、1310年、チャガタイハン国に併合された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オゴタイハン国」の意味・わかりやすい解説

オゴタイ・ハン国
おごたいはんこく
Ögedei Ulus

チンギス・ハンの第3子オゴタイの一門が代々保有支配した遊牧集団・所領と彼ら王家自身を含めて普通こうよぶことが多い。ただし「ハン国」は英語のkhanate、フランス語のkhanatの訳語として、便宜的に使用されているにすぎず、オゴタイ家集団が国家の名に値するかどうかは大いに疑問がある。オゴタイは父チンギス・ハンのモンゴリア統一(1206)後、4000の部民を分与され、アルタイ近辺に所領を構えた。その後ホラズム遠征(1219~25)の成功とともに、所領はやや西方のエミール川流域に伸び、ここを本拠とした。オゴタイが帝位につくと、彼はモンゴル本土に移ったが、エミールの本領は長子グユクが相続した。またオゴタイは、所属が棚上げになっていた旧西夏領の河西に次子クテンを封じ、第3子クチュを膝下(しっか)にとどめて後継者に擬した。

 オゴタイの死後グユクが帝位を継いだものの、1年半で横死し、モンケ(オゴタイの弟トゥルイの長子)の即位をめぐってエミール領のグユク系らは反対し、河西領のクテン系らは賛成に回った。この結果オゴタイ一門は東西に分裂し、さらにフビライの新政権が生まれると、クテンの子ジビクテムルは元(げん)朝側につき、西方領を抑えたハイドゥは反対したため、完全に二分された。ハイドゥはチャガタイ家のドゥワを従えて、中央アジアに「ハイドゥ王国」を樹立し、30年間、元朝と争ったが、嗣子(しし)チャパルは1306年ドゥワに主権を奪われ、10年元朝に降(くだ)った。

杉山正明

『ドーソン著、佐口透訳『モンゴル帝国史2・3』(平凡社・東洋文庫)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「オゴタイハン国」の解説

オゴタイ−ハン国
オゴタイ−ハンこく

1224〜1310
モンゴル帝国の四ハン国の1つ
チンギス=ハンが第3子オゴタイに分封した,アルタイ山脈南麓の草原地帯で,イリ付近のエミールを国都とした。その子孫は第3代ハンのグユク(定宗)まではハン位を継承したが,その後トゥルイ家に移ったことを不満として,フビライ=ハンの即位に際し,チャガタイ・キプチャク両ハン国と同盟してハイドゥの乱を起こし,元に反抗した。その後同盟がくずれ,1310年チャガタイ−ハン国に滅ぼされた。

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