チンギス・ハンの第3子オゴタイの一門が代々保有支配した遊牧集団・所領と彼ら王家自身を含めて普通こうよぶことが多い。ただし「ハン国」は英語のkhanate、フランス語のkhanatの訳語として、便宜的に使用されているにすぎず、オゴタイ家集団が国家の名に値するかどうかは大いに疑問がある。オゴタイは父チンギス・ハンのモンゴリア統一(1206)後、4000の部民を分与され、アルタイ近辺に所領を構えた。その後ホラズム遠征(1219~25)の成功とともに、所領はやや西方のエミール川流域に伸び、ここを本拠とした。オゴタイが帝位につくと、彼はモンゴル本土に移ったが、エミールの本領は長子グユクが相続した。またオゴタイは、所属が棚上げになっていた旧西夏領の河西に次子クテンを封じ、第3子クチュを膝下(しっか)にとどめて後継者に擬した。
オゴタイの死後グユクが帝位を継いだものの、1年半で横死し、モンケ(オゴタイの弟トゥルイの長子)の即位をめぐってエミール領のグユク系らは反対し、河西領のクテン系らは賛成に回った。この結果オゴタイ一門は東西に分裂し、さらにフビライの新政権が生まれると、クテンの子ジビクテムルは元(げん)朝側につき、西方領を抑えたハイドゥは反対したため、完全に二分された。ハイドゥはチャガタイ家のドゥワを従えて、中央アジアに「ハイドゥ王国」を樹立し、30年間、元朝と争ったが、嗣子(しし)チャパルは1306年ドゥワに主権を奪われ、10年元朝に降(くだ)った。
[杉山正明]
『ドーソン著、佐口透訳『モンゴル帝国史2・3』(平凡社・東洋文庫)』
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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