日本歴史地名大系 「鹿内村」の解説
鹿内村
しかないむら
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には村名の記載がないが、享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「鹿内村 諸帳同之」とあり、藩政初期からの村と思われる。
宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば、高は本田一〇〇石三斗四升二合、新田七七石九斗、合計一七八石二斗四升二合(当高一五五石三斗八合)。享保八年の雄勝郡郡村本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)では当高は変わらず、家数は一〇軒。支郷に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報