鹿狩村(読み)ろつかりむら

日本歴史地名大系 「鹿狩村」の解説

鹿狩村
ろつかりむら

[現在地名]田主丸町菅原(すがわら)・八幡(やわた)

大窪(おおくぼ)村の南西に位置する。屋敷地は筑後川左岸、志床(しどこ)村分平木(ひらき)名と筒井(つつい)村の中間にある(上三郡絵図)。幕末の筑後川絵図(木村家蔵)によれば川岸通は四ヵ所合せて三二〇間で塩足(しおたり)村・大窪村・東大窪村・江口(えぐち)村と入組む。本高は一四〇石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高三六〇石・役高七〇九石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦三八石一斗余・小麦二二石八斗余・菜種一五石二斗余(「本地夏物成帳」中村家文書)。寛政元年(一七八九)の撫斗代六斗五升、人数三三三、馬三五(上三郡取調手鑑)。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高七一六石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二町二反余・開田五反余・畑田二九町二反余・畑一七町二反余・居屋敷六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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