麦倉村(読み)むぎくらむら

日本歴史地名大系 「麦倉村」の解説

麦倉村
むぎくらむら

[現在地名]北川辺町麦倉

利根川左岸に位置し、東は大曾おおぞ村・柳生やぎゆう村、南は利根川を限り、北はあいの川跡を隔て上野国邑楽おうら下五箇しもごか(現群馬県板倉町)。田園簿によれば田高六二一石余・畑高七九六石余。宝暦一一年(一七六一)前々古新田改出の二〇五石余が新たに加わり高一千六二三石余となる(「村鑑帳」小室家文書)。反別は寛文四年(一六六四)に田方一〇三町二反余・畑方一六八町六反余(「麦倉村検地帳」同文書)。宝暦元年立野たての新開畑五町三反余が検地をうけ、前掲村鑑帳では田方一〇三町三反余・畑方一七四町九反余となっており、江戸時代を通して畑方の開発が促進された(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む