麻布新網町一丁目(読み)あざぶしんあみちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「麻布新網町一丁目」の解説

麻布新網町一丁目
あざぶしんあみちよういつちようめ

[現在地名]港区麻布十番あざぶじゆうばん一丁目

新堀しんぼり川左岸の屈曲部北西にある町屋。両側町・片側町など地面を分ち変遷した。北は麻布永坂あざぶながさか町、東は飯倉新いいぐらしん町、西は麻布宮下あざぶみやした町、南は鷹匠水上邸と麻布坂下あざぶさかした町・麻布網代あざぶあみしろ町。

文政町方書上によると、宝永四年(一七〇七)芝新網しばしんあみ町の東西約一〇〇間・幅二五間が収公され松平(久松)家の屋敷になったため、当地の麻布本村明地に七割増の面積で代地を受け麻布新網町を称した。しかし松平家屋敷は同六年には取払いになり旧地に戻ることになったが、地主のうち五人が残った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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