日本歴史地名大系 「麻生津庄」の解説 麻生津庄おうづのしよう 和歌山県:那賀郡那賀町麻生津庄麻津・大津とも記す。紀ノ川南岸、飯盛(いいもり)山北麓にあった荘園。西は荒見(あらみ)庄(現粉河町)、東は伊都(いと)郡志富田(しぶた)庄(現かつらぎ町)。久安二年(一一四六)七月一〇日の鳥羽院庁下文案(根来要書)に、渋田(しぶた)郷(志富田庄)の四至のうちに「西限那賀郡麻津郷東堺」と記される。渋田郷同様、当時は国衙領であったと思われる。次いで「御室御所高野山御参籠日記」同六年六月八日条に「従新家庄立、午刻於填崎乗船、申刻着麻津宿、件所宰相中将(藤原教長)領也」と記されるが、立荘されていたかどうかは明らかではなく、また藤原教長は保元の乱で流罪とされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by