志富田庄(読み)しぶたのしよう

日本歴史地名大系 「志富田庄」の解説

志富田庄
しぶたのしよう

渋田庄とも書く。紀ノ川中流左岸、現東渋田ひがししぶた・西渋田一帯を荘域とする。康治元年(一一四二)一二月一八日の紀伊国司庁宣案(根来要書)に渋田郷がみえ、公領であったが、この時、紀伊国衙が「官使国使等、依大嘗会召物料、入彼御領所、押取稲米等」という責任をとって高野山大伝法だいでんぼう院に施入している。久安二年(一一四六)渋田郷は同院領として正式に認められ、同年七月一〇日の鳥羽院庁下文案(同書)によれば、四至は「東限兄井谷 南限六ケ庄北堺 西限那賀郡麻津郷東堺 北限大河古流」であった。

仁平元年(一一五一)九月日付の大伝法院住僧等解案(根来要書)によると、当庄をめぐって大伝法院と南都興福寺西金堂との間で相論があった。西金堂側は、志富田庄は西金堂修二月行のため康平年中(一〇五八―六五)に寺僧喜範が施入したものと主張したが、それは公領内の免田でしかなかったらしい。承久の乱後には、鎌倉幕府から新補地頭として遠江太郎が補任されているが、承久四年(一二二二)四月一〇日の六波羅下知状案(同書)によると、当庄の地頭代は早くも「同意前座主定浄律師、背院宣并御室御下文、不用領家預所職」といった問題を起こしており、六ヵ月後の貞応元年(一二二二)一〇月一九日に地頭職は停止されている(「関東下知状案」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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