日本歴史地名大系 「名手庄」の解説
名手庄
なてのしよう
紀ノ川の北岸、
右の官宣旨案には四至が「限東静河西岸、限南吉野河北岸、限西無水河、限北横峯」と明示され、面積は田四一町一段三〇歩(うち見作三町一段三〇歩・荒田八町・田代三〇町)、畠八二町二反(うち見作一二町二反・荒畠一〇町・畠代六〇町)と示される。当初は見作は少なく田代・畠代が多い。なおこの官宣旨案には「
平安時代後期から室町時代後期まで、水無川をめぐって粉河寺領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報