朝日日本歴史人物事典 「黄允吉」の解説
黄允吉
生年:中宗31(1536)
朝鮮王朝中期の官人。日本語読みは「こう・いんきつ」。字は吉哉,号は友松堂。明宗16(1561)年科挙に合格。官界では西人派に属した。天正18(1590)年通信正使として来日。朝鮮国王宣祖への復命に際して日本の朝鮮侵略は必至と報告したが,東人派の副使金誠一はこれに反対の意見を述べた。そのため政府内に論争が起こり,本格的な防衛対策を講じるには至らなかった。壬辰倭乱(文禄の役)勃発後の消息は不明。
(鶴田啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報