黄金世紀(読み)おうごんせいき

百科事典マイペディア 「黄金世紀」の意味・わかりやすい解説

黄金世紀【おうごんせいき】

スペインの文芸が最も隆盛をきわめた時期のことで,大きく言えば16,17の2世紀にあたる。スペイン語でSiglo de Oro絵画においてはベラスケスエルグレコムリーリョらが,文学では《ドン・キホーテ》を書いたセルバンテス,《孤愁》の詩人ゴンゴラ,国民劇〈コメディア〉を完成したロペ・デ・ベガ,言語の魔術師ケベード,不朽の戯曲《人生は夢》の劇作家カルデロン・デ・ラ・バルカといった才能が輩出した。2世紀にわたる黄金世紀を2分して,16世紀をルネサンス期,17世紀を反宗教改革の影響のもとスペイン独自の文芸が開花したバロック期としてとらえるのが一般的である。

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世界大百科事典(旧版)内の黄金世紀の言及

【イベリア半島】より

…いまやスペインはフランス王ルイ14世の膨張政策のかっこうの餌食でしかなかった。 戦乱の16~17世紀はスペイン史の〈黄金世紀〉と呼ばれるが,それはヨーロッパ最強の軍事力を誇った事実にではなく,この間にスペイン文化が発揮した未曾有の創造力とその所産に基づいている。16世紀の前半,エラスムスの主張に沿った知的で穏健な開明派路線が,緊迫する政治社会情勢の前に沈黙を強いられると,代わって民衆の熱狂的宗教感情が絵画,演劇,小説,建築等にまたとない自己表現のすべを見いだした。…

【カスティリャ王国】より

…通称〈スペイン帝国〉を支えたのは本来その一部にすぎないカスティリャ王国だったのである。〈スペイン帝国〉の繁栄期は〈シグロ・デ・オーロ(黄金世紀)〉とも呼ばれ,近代スペイン文化の絶頂期でもあった。〈カスティリャ〉は少なくとも対外的には〈スペイン〉の同義語となり,カスティリャ語もスペイン語と呼ばれるようになった。…

【カトリック両王】より

…さらに一部高位聖職者の協力を得て,いち早く教会刷新を進め,後のプロテスタント革命による混乱を未然に防止した。政治面での勝利と成功はそのまま文化面にも反映され,印刷機の普及や大学新設等,やがて訪れる“黄金世紀”の確かな前兆が認められた。【小林 一宏】。…

【スペイン帝国】より

…一般に16世紀から17世紀前半にかけて,ヨーロッパ,アメリカ,アジアの諸地域を支配し,かつ西ヨーロッパの列強に伍したころのスペインを指す。そして文化史の視点からは,この時代はスペインの黄金の世紀Siglo de Oroと呼ばれる。なお,〈スペイン帝国〉とは後世に造られた呼称であって,当時のスペイン王は自分の版図をカトリック王国Monarquía católicaと呼び慣らわした。さらに自国領以外の土地およびその住民に対する統治行為の意味に〈帝国〉を解するならば,〈スペイン帝国〉は1898年まで続いた。…

【スペイン文学】より

…例えば,一般には中世の終焉(しゆうえん)とともに終わった,あるいは下火になったジャンル(騎士道物語,神秘主義文学など)が,スペインではルネサンス期に遅れて開花し,結実したため,独特の味わいをもった文学となった。そして,この〈遅れた結実〉こそスペイン黄金世紀文学の大きな部分をなすものである。
【中世――スペイン文学の発生】
 スペイン文学は遍歴歌人(フグラール)が英雄の偉業をたたえて吟誦した武勲詩,つまり叙事詩に始まるが,口承文学という性質ゆえにそのほとんどが散逸してしまい,現在に残る唯一の作品は1140年ころに書かれた《わがシッドの歌》である。…

【フェリペ[4世]】より

…またポルトガルはただちにジョアン4世の下に独立を宣言し,68年にスペインの承認を得て,1581年以来の従属に終止符を打った。フェリペ4世は寵臣に政治を任せて遊芸にふけり,ぜいたくで華やかな宮廷生活を送ったが,芸術の保護者としても知られ,その治世中には,ベラスケス,ローペ・デ・ベガ,ケベド,ゴンゴラ,カルデロンなどスペインの黄金世紀を代表する人物が輩出した。【藤田 一成】。…

※「黄金世紀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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