スペイン・バロック期を代表する散文家,小説家,詩人。警句や地口などを駆使する,いわゆる〈奇知主義〉の大家。また多くの歴史的事件に身をもってかかわった情熱的な政治家でもあった。マドリードに生まれ,アルカラとバリャドリードの大学で人文主義的教養を身につけた後,オスーナ公爵に従ってシチリアに赴き,1616年公爵がナポリ副王に任命されると,その財務長官となって,地中海の支配をめぐるイタリア政策に腕をふるった。公爵の失脚と共に下野するが,21年フェリペ4世が即位すると宮廷に復帰した。しかし時の実力者オリバレス伯公爵と不和になり,国王のナプキンの下にオリバレスを中傷した詩をしのばせた罪にとわれ,4年間牢につながれるが,オリバレスの失脚によって釈放され,その2年後に没した。このような波乱に富んだ生涯を通して,スペイン社会の虚偽に満ちた現実をまのあたりにしたケベードは,さまざまなジャンルを用いてこの現実を描いたが,そこには一貫して現世的なものに対する蔑視や,死こそが唯一の真実であるといった信念が見られる。そして社会や人間の醜悪な面に対する批判から生まれる彼の作品は,必然的に風刺的な傾向を持つことになる。《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》にはじまる〈悪者小説〉(ピカレスク)の頂点ともいうべき《かたり師,ドン・パブロスの生涯Historia de la vida del Buscón,llamado Don Pablos》(1626)にその特徴が如実に見られるのであるが,ここでは登場人物の醜さが,ブラックユーモアをまじえてあばかれている。そして風刺の精神は《夢》(1627)において極まる。この作品は〈最後の審判の夢〉〈死の夢〉〈地獄の夢〉などの5部からなり,これらの〈夢〉において,社会のもろもろの悪弊が俎上にのせられるのである。これと同傾向の《万人の時》(1645)のほかに,セネカの影響をはっきりと見せている宗教的著作,たとえば《神の摂理》(1642)や政治論,たとえば《神の政治》(1626)をはじめとする啓蒙的散文や文芸批評などにもすぐれたものが多い。またケベードは約800編の詩を残した。しかもその抒情的なソネットが,現代の碩学ダマソ・アロンソによって,〈スペイン文学史上最高の恋愛詩〉とたたえられている詩人であることを忘れてはならない。
執筆者:牛島 信明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スペインの政治家、詩人、小説家。名門の子としてマドリードに生まれ、アルカラとバリャドリードの大学で語学、哲学、神学を学ぶ。生まれつき足が悪く、しかも強度の近視であったが、早くから文武両道にわたる際だった才能が注目された。30代の初めイタリアへ渡り、シチリアやナポリの総督を務めたオスナ公爵の顧問となり、外交問題で活躍するが、オスナ公爵の失脚に巻き込まれて投獄され、所領地に謹慎を命じられた。1621年フェリペ4世が王位につき、政治の実権がオリバレス公伯爵に移ると、宮廷への復帰が認められる。しかし1639年ふたたび逮捕されてレオンのサン・マルコス修道院に監禁される(1639~43)。この失脚は、国王の食卓で発見された風刺詩が原因とされているが、実際はフランス側スパイの嫌疑をかけられたためらしい。釈放後は健康を損ない、1645年9月8日、転地先のビリャヌエーバ・デ・ロス・インファンテスで没した。
ケベードは知性と情熱を備えた複雑な個性の持ち主で、その特色は作品にも反映している。一方ではローペ・デ・ベーガと比肩される叙情詩をものし、他方では当代随一と評される痛烈な風刺詩を数知れず残している。散文作品においても、高度な学識と見識をもとに『神の政治』(第1部1626、第2部1634~35執筆)や『マルクス・ブルータス伝』(1644)を書くかと思うと、ことば遊びと奇想を駆使したピカレスク小説『大悪党』(1626)や、風刺と諧謔(かいぎゃく)に満ちた『夢』(1627)のような、全編に才気横溢(おういつ)する作品を発表しており、まさにスペイン語の天才、奇想主義の王者とよばれる貫禄(かんろく)を示している。
[桑名一博]
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