セルバンテス(読み)せるばんてす(英語表記)Miguel de Cervantes Saavedra

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セルバンテス」の意味・わかりやすい解説

セルバンテス
せるばんてす
Miguel de Cervantes Saavedra
(1547―1616)

スペインの小説家、劇作家、詩人。

桑名一博

生い立ち

1547年の9月末ごろ、マドリードに近い大学町アルカラ・デ・エナレスで生まれたが、正確な誕生日はわからない。洗礼は10月9日にサンタ・マリア・ラ・マヨール教会で受けている。父親は耳の不自由な外科医。セルバンテスの幼・少年期に関することは正確なところはわからない。父親が各地を転々とする生活を送ったので、たぶんどこかの地で短期間ながらイエズス会系の学校にでも通ったのではないかと推測される。

[桑名一博]

軍役と名誉の負傷

彼の名前が初めて文献に現れるのは、1568年にマドリードに住む人文学者ロペス・デ・オヨスが出版したフェリペ3世の王妃を追悼する詩文集で、「わが秘蔵愛弟子(まなでし)」とよばれたセルバンテスの詩が三編ほど収められている。しかし翌年には彼はイタリアに渡っており、まず枢機卿(すうききょう)アックワビーバの侍僕(じぼく)となるが、1570年にはナポリに赴き、弟ロドリーゴのいる部隊に入隊して兵士となっている。そして翌1571年には歴史上有名なレパントの海戦に参加し、胸や腕に傷を負う。左腕に受けた傷は悪化し、のちには左手が自由に使えなくなったが、自ら「右手の名誉をさらにあげるために」左手の自由を失ったのだと、最後までこの名誉の負傷を誇りにしていた。彼はしばらく療養したあと、ふたたび軍役に復し、弟ロドリーゴとともにナバリノの海戦、チュニス攻略などに参加し、パレルモやナポリに駐屯したが、1575年、国王の異母弟であるドン・フアン・アウストリア提督の感状と、シチリアの副王の推薦状をもって帰国の途についた。

[桑名一博]

奴隷生活から文筆業へ

彼と弟が乗っていた船は、当時地中海を横行していたトルコの海賊船に襲われ、セルバンテスは他の乗船者とともに捕虜となり、アルジェに連れて行かれ、その地で5年間の奴隷生活を送ることになる。彼はその間に数度の逃亡を試みていずれも失敗しているが、奇跡的に処刑を免れることができた。結局、1580年に身代金を払ってもらってようやく自由の身となった。

 スペインに帰国後は、思わしい職が得られないまま文筆で身をたてることを志し、1587年までに20~30編の戯曲を書いたようだが、現存しているのは『アルジェの牢屋(ろうや)』と『ヌマンシア』の二編だけである。このころに書いた作品でいくらか成功を収めたのは、当時流行していた牧人小説の『ガラテーア』(1585)で、セルバンテスはこの作品には深い愛着をもっていたらしく、死の直前まで何度か続編を書く約束を繰り返している。

 1584年に18歳下の娘と結婚し、彼女の持参金によって生活が安定するかにみえたが、続いて起きた父親の死のために家族を養う必要が生じ、1587年にはセビーリャへ行って無敵艦隊の食糧徴発係になった。この仕事に従事しているときに司教領からの徴発をやりすぎ、教会から破門されたこともある。さらにグラナダで徴税吏になってからも、公金を預けておいた銀行家が破産して失踪(しっそう)する事件に巻き込まれたり、マドリードへの召喚命令に従わなかったことが原因で、一度ならず入獄しており、ついには官職から追われることになった。この期間に、彼の名を不朽なものとした『ドン・キホーテ』(第一部・1605)を書き上げている。この作品は出版と同時に大好評で版を重ねたが、版権を安い金で売り渡していたので、彼の生活はその後もいっこうに楽にならなかった。

[桑名一博]

旺盛な文学活動

1605年に、彼が住んでいたアパートの近くで起きた刃傷(にんじょう)事件に関して嫌疑をかけられたことがあるが、彼はその後も絶えず、主として金銭問題から、法律上のいざこざに巻き込まれていたようである。そのため、10年にナポリの副王に任命されたレモス伯爵の随員になることを願ったが、この希望はかなえられなかった。だが、このように恵まれない生活を送っていたにもかかわらず、晩年の文学活動はきわめて活発である。

 まず、12編の中・短編小説を収めた『模範小説集』(1613)を出版したのを皮切りに、当時の詩人たちを批評した長編詩『パルナソ山への旅』(1614)や、『新作戯曲8種と幕間狂言8種』(1615)をたて続けに出版した。1615年には『ドン・キホーテ』の第二部も出版している。そして1616年には、彼にいわせると、スペイン語で書かれた最良の、もしくは最悪の創作だという『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617没後刊)を完成させ、死の床できわめて感動的な献辞を書いている。セルバンテスは1616年4月23日、マドリードで死んだ。

[桑名一博]

『荻内勝之訳『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』上下(1980・国書刊行会)』『カルロス・フエンテス著、牛島信明訳『セルバンテスまたは読みの批判』(1982・風の薔薇)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セルバンテス」の意味・わかりやすい解説

セルバンテス
Cervantes Saavedra, Miguel de

[生]1547.10.9. 〈洗礼〉アルカラデエナレス
[没]1616.4.23. マドリード
スペインの小説家。外科医の子に生れ,スペインやイタリアの各地を転々としたのち,レパントの海戦に参加して功績があったが,帰国の途中トルコ軍に捕えられて5年間の虜囚生活をおくった。帰国後も投獄や破門を体験するなど,波乱に富んだ生活をおくりながら,1580年前後から創作を始め,1605年に『ドン・キホーテ』 Don Quixoteの前編,15年に後編を出して,「黄金世紀」の代表的な作家となった。ほかに,『模範小説集』 Novelas ejemplares (1596以前執筆) や,遺作となった『ペルシレスとシヒスムンダの苦難』 Los Trabajos de Persiles y Sigismunda (17) などの小説,『新作コメディア8編と新作幕間狂言8編』 Ocho comedias y ocho entremeses nuevos (15) などの劇作品,『パルナソの旅』 Viaje del Parnaso (14) などの詩作品がある。

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