スペインの詩人。教養豊かな貴族の子としてコルドバに生まれ、サラマンカ大学に学んだが、文学と賭博(とばく)に熱中して学業を中途で放棄した。父親の助力でコルドバの大寺院の扶持(ふち)僧になったのちも、しばしば行状をとがめられ、やっかい払いの形でスペイン各地に派遣されている。彼は生涯の大半を故郷の町で過ごし、代表作『ポリフェーモとガラテーアの寓話(ぐうわ)』(1612)と『孤愁』第1部(1613)も、コルドバに近い田舎(いなか)に引きこもっていたときに書いたが、この両作品で詩人としての名声を確立すると、居をマドリードに移し、1617年にはフェリペ3世の名誉教誨(きょうかい)師に任命された。しかし晩年は金銭問題と病気に悩まされ、ふたたびコルドバに帰って死んだ。
ゴンゴラはしばしば「光の詩人から闇(やみ)の詩人に転じた」と評されるように、ロマンセ(歌謡)やレトリーリャ(畳句(じょうく)を備えた叙情詩)といった伝統的な詩型による初期の詩は、音楽性と機知に富んだ平明な作品が多く、だれからも親しまれやすいが、それに反して『ポリフェーモとガラテーアの寓話』や『孤愁』といった後期の作品は、詩的表現の純粋性を求めるあまり極度に難解になっていて、かなりの知的素養がないと理解しがたい。ラテン語の語彙(ごい)と文章法を大胆に取り入れた破格的な構文で、神話を下敷きにした物語を描くその独特な表現法は、彼の名にちなんでゴンゴリスモとか、文飾主義とよばれ、17世紀のスペイン詩のみならず文学全般にきわめて大きな影響を及ぼした。しかしその一方でローペやケベードのように、ゴンゴリスモに批判的な文学者も少なくなく、両者の間で激しい応酬があった。ゴンゴラの声価は18、19世紀には低下したが、20世紀になるとふたたび高くなり、今日ではスペインの生んだ最高の詩人の一人とみなされている。
[桑名一博]
『ガルシア・ロルカ著、桑名一博訳「ゴンゴラの詩的イメージ」(『世界批評大系3』所収・1975・筑摩書房)』
スペインの詩人。コルドバの名家に生まれ,父は法律家,母は裕福だが改宗ユダヤ人の家系ともいわれる。サラマンカ大学を中退し,コルドバ司教座の聖職禄を得た(1585)。聖務よりも詩作と世俗の生活を楽しみ,ロマンセ作者として評判を取った。しばしば首都の文人・宮廷人と接触,エスピノサ編《名詩人選》(1605)にソネットなど十数編を採用されて名声を得たが,宮廷入りには至らず,失望してコルドバに隠棲した(1609)。この時期初めて詩作に専念し,神話を題材とした描写詩《ポリフェモとガラテアの物語》(1613),《孤独》(1613-14)などの長編詩に独自の境地を開いた。現存する作品は戯曲2編を除きすべて詩である。スペイン風(ロマンセ,レトリーリャ),イタリア風(ソネット,カンツォーネ)の詩型を用い,ユーモアと辛辣さの同居する風刺詩・諧謔詩,ペトラルカ風の理想とともにシニシズムの色濃い恋愛詩などがある。代表作《孤独》(第1部1091行,第2部979行)は未完の長編抒情詩で,失恋した若い宮廷人の放浪という物語風の設定を軸に,社会・政治批判,作者の人生観を,複雑華麗なバロック的修辞を尽くして表現した大作である。発表と同時に賛否の論争をまき起こしたが,古典の知識と発想の奇抜さを楽しむ難解な文体は,ゴンゴリスモと呼ばれて多くの模倣者を出した。多様な矛盾する要素を一つの作品の中に組み合わせる彼の詩風は,さらに,悲劇的な主題に卑俗なユーモアが交錯するロマンセ《ピラモとティスベの物語》(1618)へと発展した。あらゆる意味でスペイン17世紀を代表するこの詩人は,新古典主義によって否定され忘れられたが,フランスの象徴詩運動を契機として,スペインの〈27年世代〉の詩人たちにより再評価が行われた。
執筆者:吉田 彩子
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