黒井城(読み)くろいじょう

日本の城がわかる事典 「黒井城」の解説

くろいじょう【黒井城】

兵庫県丹波市春日町にあった山城(やまじろ)。丹波の山城では八上城と並ぶ戦国時代の名城。築城年代は不明だが、赤松貞範(則村(のりむら)の次男)が丹波国氷上郡春日部荘を与えられたことが始まりとされる。その後、赤松氏と対立していた荻野氏が城主となり、1554年(天文23)赤井(荻野)直正が黒井城に入城した。直正は赤井・荻野一族を統率し、丹後但馬にも進出した。この時期に城郭の全面的な改築補修が行われた。山頂の曲輪(くるわ)群は堅固な石垣で護られ、三方にのびる山稜上に城砦群を配して全山を要塞化、現在の遺構にみる黒井城が完成した。1577年(天正5)に始まった明智光秀による丹波平定戦で、黒井城は再三にわたり攻められ落城した。光秀の重臣斎藤利三(春日の局の父)が城主となったが、利三は麓の下館(現興禅寺)に入ったといわれる。続いて堀尾吉晴・川勝秀氏が城主となるが、その後城は廃城となった。現在、本丸など山頂部の遺構が整備され、石垣を含めて戦国山城の遺構がよく残っている。また登城口にある興禅寺は黒井城下屋敷があったところで、寺の前には七間濠がめぐる。JR福知山線黒井駅から徒歩10分、登城口から徒歩40分。◇「保月城」とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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