黒沢節窩(読み)くろさわ せっか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢節窩」の解説

黒沢節窩 くろさわ-せっか

1683-1748 江戸時代中期の儒者
天和(てんな)3年生まれ。藩主榊原氏の転封にしたがい,越後(えちご)(新潟県)村上藩,播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩,越後高田藩とうつる。政邦をはじめ4代の藩主に史監としてつかえ,転封の際,藩政式目条例の改革につくした。私塾もひらいた。寛延元年死去。66歳。越後出身。名は順。通称六郎。別号に活溌童子。著作に「弁朱陸弁」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む