フランスの医師、唯物論者。サン・マロに裕福な商人の子として生まれる。宗門に入るためヤンセン派(ジャンセニズム)の学校で教育を受けたが、やがて神学を嫌って医学に転じ、オランダのライデンでブールハーフェの教育を受ける。ブールハーフェは人体機構の機械論的説明と動物生気説によって彼に大きな影響を与えた。1742年軍医としてフランドルでの戦闘に従軍し、このときの経験と彼自身の熱病の体験から、人間の心的活動に関する唯物論的見解を深めた。最初の哲学的著作『霊魂の自然誌』(1745)ではロックの説を受け入れて、「感覚がなければ観念はない、感覚が少なければ観念も少ない」とし、いっさいの精神活動は本質的に身体組織に依存するとした。当然、保守的な医師と教会との攻撃によって、彼は職を追われ、著書は焼き捨てられた。主著『人間機械論』(1748)が執筆されたのは、亡命先のライデンにおいてである。1748年彼はさらにドイツに逃がれ、フリードリッヒ大王(2世)の侍講として、その宮廷で生涯著述に専念した。
[坂井昭宏 2015年6月17日]
『杉捷夫訳『人間機械論』(岩波文庫)』
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1709~51
フランスの医師,哲学者。その唯物論的思想と医学界攻撃のため迫害を逃れオランダに亡命,ついでフリードリヒ2世の招きでベルリンに移った。オランダで書かれた『人間機械論』(1747年)は有名。
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