黒野城跡
くろのじようあと
[現在地名]岐阜市黒野
江戸時代の黒野村の中央やや東寄りに位置した平城跡。古城跡とよばれる。ほぼ正方形(約一町七反七畝)で、高さ五・四メートルの堤をめぐらし、水を湛えた堀などの遺構がある。文禄四年(一五九五)加藤貞泰が四万石の城主として甲斐国から当地に封じられ(黒野藩)、城郭をはじめ家中屋敷・町人屋敷を構想、建設した。貞泰は光泰の子で、関ヶ原の合戦では徳川家康軍にくみし、大垣城に対陣、合戦後は大坂へ向かったといわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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