黒野城跡(読み)くろのじようあと

日本歴史地名大系 「黒野城跡」の解説

黒野城跡
くろのじようあと

[現在地名]岐阜市黒野

江戸時代の黒野村の中央やや東寄りに位置した平城跡。古城こじよう跡とよばれる。ほぼ正方形(約一町七反七畝)で、高さ五・四メートルの堤をめぐらし、水を湛えた堀などの遺構がある。文禄四年(一五九五)加藤貞泰が四万石の城主として甲斐国から当地に封じられ(黒野藩)城郭をはじめ家中屋敷・町人屋敷を構想、建設した。貞泰は光泰の子で、関ヶ原の合戦では徳川家康軍にくみし、大垣城に対陣、合戦後は大坂へ向かったといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む