国指定史跡ガイド 「龍岡城跡」の解説
たつおかじょうあと【龍岡城跡】
長野県佐久(さく)市田口にある城跡。龍岡藩の藩庁が置かれていた近代城郭跡で、佐久に陣屋を置いた龍岡藩主・松平乗謨(のりかた)が1867年(慶応3)に築城した。日本に2つある五角星形の西洋式城郭の一つで、この3年前に完成した函館五稜郭(ごりょうかく)とともに貴重な城郭である。龍岡五稜郭、あるいは桔梗(ききょう)城とも呼ばれ、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。城内の建造物は松平氏が城をもてない「陣屋格」であったため、天守などの防御施設はなく、大手門と通用門、藩主の御殿、藩士の小屋、藩屋、太鼓楼(たいころう)、火薬庫のほか、歴代藩主を祀った三社様や稲荷社などがあった。しかし、1872年(明治5)に明治政府の取り壊し令により、龍岡城は地所と石垣はそのままに、建物は入札払い下げとなって残りは取り壊されてしまった。現在は外堀と石塁が残り、当時の炊事場だった台所櫓(やぐら)を復元しており、かつての大広間は佐久市鳴瀬の時宗寺の本堂として移築され、東通用口は佐久市野沢の成田山薬師寺の門として現存している。隣接する「であいの館」には、五稜郭の資料が展示されている。JR小海線臼田駅から徒歩約15分。