日本歴史地名大系 「三梨村」の解説
三梨村
みつなしむら
とあり、三梨氏の小野寺氏からの独立性がみられる。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三梨子一千四一三石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば高は本田一千二五四石五斗二升七合、新田八五一石一斗八升、計二千一〇五石七斗七合(当高二千九石九斗三升二合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
とあり、三梨氏の小野寺氏からの独立性がみられる。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三梨子一千四一三石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば高は本田一千二五四石五斗二升七合、新田八五一石一斗八升、計二千一〇五石七斗七合(当高二千九石九斗三升二合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新