板屋町(読み)いたやまち

日本歴史地名大系 「板屋町」の解説

板屋町
いたやまち

[現在地名]浜松市板屋町・松江町まつえちよう東田町ひがしたまち旭町あさひちよう

田町の東、東西に延びる東海道に沿う。東はしん町、北は早馬はやうま(井上氏時代城下絵図など)。延宝五年(一六七七)の浜松町村家数高間尺帳によれば町の長さ三町二〇間、家数五九。浜松各町書上によると町並は南側二一四間三尺・北側二〇五間、町幅四間三尺。本役家屋敷五〇、総家数一二三、うち借屋一二・店借一三。田町境、早馬町入口に橋があった。職人が多く、宝暦九年(一七五九)には大工役を二人、塗師役を一人、桶屋役を一人、鍛冶役のうち素人役を一一人、水役を七人が負担した(浜松宿諸職記録)。享保一三年(一七二八)七月、大雨により飯田いいだ村の天竜川堤や馬込まごめ川・安間あんま川の堤が切れ、浸水被害を受けた。

板屋町
いたやまち

[現在地名]岡崎市板屋町

岡崎城の西、外郭内に通ずる東海道往還筋の町。東は町、西は松葉まつば町に続く。町の中ほどで曲り、田町側は南北に、松葉町側は東西に続く。町の長さ三町一六間・幅二間四尺。岡崎宿伝馬役町である。天正一九年(一五九一)岡崎城主田中吉政が城北の天神てんじん山の木を切出し、山を削り、城西沼地を埋めて町とし、その木で板屋を建てて町民を住まわせたところからこの名があるという(三河聡視録、岡崎古記)

板屋町
いたやちよう

[現在地名]近江八幡市板屋町

寺内北末てらうちきたすえ町の南、八幡町の南西端に位置する。上筋かみすじ通と直交する白鳥しらとり道筋沿いに形成された両側町で、八幡町の南の入口にあたる。南は土田つちだ村、東はなか村、西は小船木こぶなき村。元禄町絵図や「輿地志略」には町名がみえず、寺内北末町の一部に扱われる場合もあったようであるが、「江州八幡誌」所収の絵図には町名が載る。

板屋町
いたやまち

[現在地名]福井市順化じゆんか二丁目

上呉服かみごふく町通を東に折れたところにある東西に延びる町。北は紺屋こんや町、南は長者ちようじや町。慶長年間北庄四ツ割図に町名がみえ、家数は五〇。貞享二年(一六八五)の福居御城下絵図より上下の二町に分れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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