佐多 愛彦(読み)サタ アイヒコ

20世紀日本人名事典 「佐多 愛彦」の解説

佐多 愛彦
サタ アイヒコ

明治〜昭和期の病理学者 大阪医科大学長。



生年
明治4年9月17日(1871年)

没年
昭和25(1950)年3月4日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
鹿児島医学校〔明治21年〕卒,東京帝大医科大学選科卒

学位〔年〕
医学博士〔明治33年〕

経歴
外科学、病理学を学び、明治27年府立大阪医学校教諭となり、30年ドイツ留学、病理学、細菌学を修めた。33年大阪府立医学校長兼病院長となり、同校の昇格で大阪高等医学校校長、次いで大阪医科大学学長となった。大正13年辞任。昭和5年第8回日本医学会会頭、ドイツのハレ自然科学帝国学士院会員、フライブルク大学名誉評議員、日独文化協会会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐多 愛彦」の解説

佐多愛彦 さた-あいひこ

1871-1950 明治-昭和時代の病理学者。
明治4年9月17日生まれ。ドイツに留学し,ウィルヒョーらのもとで病理学,細菌学をおさめる。結核研究で知られ,大阪府立医学校校長,大阪医大学長を歴任し,のちの阪大基礎をきずいた。日独文化協会会長。昭和25年3月4日死去。78歳。鹿児島県出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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