宮古路国太夫(2代)(読み)みやこじ くにたゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮古路国太夫(2代)」の解説

宮古路国太夫(2代) みやこじ-くにたゆう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
宮古路豊後掾(ぶんごのじょう)の子,または養子。はじめ宮古路若太夫を名のる。2代国太夫としては寛保(かんぽう)2年(1742)大坂での出演初見で,宝暦2年(1752)まで名がみえる。2代豊後掾をついだともいうが,詳細は不明。

宮古路国太夫(3代) みやこじ-くにたゆう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
初代宮古路薗八(そのはち)の門人。はじめ宮古路世代太夫を名のる。宝暦12年(1762)3代国太夫をつぎ,同年豊後掾(ぶんごのじょう)を名のったともいう。国太夫の名は明和5年(1768)までみえる。

宮古路国太夫(初代) みやこじ-くにたゆう

宮古路豊後掾(みやこじ-ぶんごのじょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宮古路国太夫(2代)の言及

【常磐津林中】より

…のち養母と不和になり,86年離縁,林中と改名。3世仲助と組み地方巡業をするが失敗,宮古路国太夫と改めて盛岡にこもる。96年9世市川団十郎に懇望されて上京,再度林中を名のり,翌年2月歌舞伎座で《関の扉(せきのと)》を語り好評を博す。…

【宮古路豊後掾】より

…享保(1716‐36)初年ごろにはすでに〈半中節〉の名は高く,一中節に《小春髪結の段》《根曳の門松》《道行三度笠》などを残している。1722年(享保7)春ごろ一中節から独立,宮古路国太夫半中と改め,宮古路節,国太夫節の名を高めた。やがて31年には宮古路豊後と名のり,江戸へ下り,ついで名古屋に滞在,そのとき実際の心中事件をモデルにした《睦月連理(むつまじきれんりのたまつばき)》を作り,これを持って34年ふたたび江戸へ下り,大好評を博した。…

※「宮古路国太夫(2代)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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