御船城跡(読み)みふねじようあと

日本歴史地名大系 「御船城跡」の解説

御船城跡
みふねじようあと

[現在地名]御船町御船 下囲

御船集落北東城山しろやまとよばれる独立丘陵で、周辺に下囲しもがこい・上囲の字名が残る。興国六年(一三四五)一一月六日の恵良惟澄軍忠状写(阿蘇家文書)に、一〇月一六日「味木庄御船城」に筑紫三郎が押寄せ合戦となり、七人を討取り、数十人を手負わせ撃退したことが記される。正平三年(一三四八)征西大将軍懐良親王が菊池に向かう途中、阿蘇大宮司惟時と御船御所で参会している(同年二月一五日「五条頼元書状写」同文書)ことからみても、肥後における南朝方の拠点であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報