権現山五一号墳(読み)ごんげんやまごじゆういちごうふん

日本歴史地名大系 「権現山五一号墳」の解説

権現山五一号墳
ごんげんやまごじゆういちごうふん

[現在地名]御津町中島 王子越

揖保川の下流西岸、河口から約三キロさかのぼった権現山山塊の頂部に位置する。標高一四〇・三メートルの最高所に五〇号墳、そのすぐ西の約一メートル低い地に五一号墳がある。いずれも東向きの前方後方墳で、五〇号墳は全長五五メートル、五一号墳は四二・七メートル。昭和六四年(一九八九)に五一号墳の発掘調査、五〇号墳の測量調査が行われた。

五一号墳は後方部の長さ二三・七メートル、幅推定三五―四〇メートル。前方部の長さ一九メートル、幅は不明確であるが復原推定二二・八メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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