泥亀新田村(読み)でいきしんでんむら

日本歴史地名大系 「泥亀新田村」の解説

泥亀新田村
でいきしんでんむら

[現在地名]金沢区泥亀一―二丁目・町屋まちや町・洲崎すさき

北は六浦寺前むつらてらのまえ村・谷津やつ村、東は町屋村洲崎村、南は入海を隔てて六浦社家分しやけぶん寺分てらぶん平分の三分ひらぶんのさんぶん村に対し、西は釜利谷の赤井かまりやのあかい村・宿しゆく村・坂本さかもと村に連なる。もと入海であった。

明治一〇年(一八七七)八月の「泥亀新田沿革略」(永島文書)によると、寛文八年(一六六八)永島祐伯(号泥亀)が字走川はしりかわ(現寺前一丁目の一部)平潟ひらかた(現平潟町の一部)の二ヵ所に海岸を埋立て、新田を開き、高一五石余、反別二町六反四畝余を得たのを起源とする。開発当初は幕府直轄領、天保一四年(一八四三)以後、川越・熊本・佐倉各藩の預所。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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