石川 晴彦(読み)イシカワ ハルヒコ

20世紀日本人名事典 「石川 晴彦」の解説

石川 晴彦
イシカワ ハルヒコ

大正・昭和期の日本画家



生年
明治34(1901)年5月1日

没年
昭和55(1980)年4月11日

出生地
京都府与謝郡加悦町

本名
石川 利治(イシカワ トシハル)

学歴〔年〕
京都美術工芸〔大正7年〕中退

経歴
大正8年入江波光師事。12年生作社を結成、第1回展が村上華岳の評価を受ける。13年国画創作協会展に入選。14年華岳の指導により聖拙社を結成。昭和3年国画創作協会日本画部が解散したため、同部会員による新樹回の結成に参加、4年第1回展に「小女」を出品。以後公募展には出品せず、華岳の影響を受けた水墨による仏画や山水画制作、その仏画は多くの支持者を得た。12年頃より晴彦と号し、戦後32年奈良県生駒郡宝山寺の多宝塔壁画を描いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川 晴彦」の解説

石川晴彦 いしかわ-はるひこ

1901-1980 大正-昭和時代の日本画家。
明治34年5月1日生まれ。入江波光(はこう),村上華岳に師事。はじめ国画創作協会展,新樹社展に「老父」「小女」などを発表。のち仏画をおもにえがき,昭和32年奈良県生駒郡宝山寺の多宝塔壁画を制作。昭和55年4月11日死去。78歳。京都出身。京都市立美術工芸学校中退。本名は利治(としはる)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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