野尻 精一(読み)ノジリ セイイチ

20世紀日本人名事典 「野尻 精一」の解説

野尻 精一
ノジリ セイイチ

明治〜昭和期の教育者 奈良女高師初代校長



生年
万延1年3月(1860年)

没年
昭和7(1932)年3月14日

出生地
播磨国(兵庫県)

学歴〔年〕
東京師範中学師範科〔明治15年〕卒,ベルリン大学

経歴
明治15年文部省御用掛となり、山形師範学校一等教諭、同校長、同県中学校長などを歴任。19年森有礼の師範学校教育振興政策により文部省留学生としてドイツに留学。プロイセン官立ノイチェルレ師範学校に入学し師範科を卒業、20年ベルリン大学、21年ライプチヒ大学などで哲学教育学を研究し、スイスのネース師範学校で手工科を専攻した。23年帰国し東京高等師範学校教諭兼帝国大学文科大学講師、のち高等師範学校教授、25年東京府高等師範学校長、30年文部省視学官となる。41年奈良女子高等師範学校初代校長に就任し、大正8年まで務めた。ヘルバルト教育学・教授法を日本に移入し教育学の礎石を築き、師範教育に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野尻 精一」の解説

野尻精一 のじり-せいいち

1860-1932 明治-昭和時代前期の教育者。
万延元年3月生まれ。ドイツのベルリン大などで哲学,教育学をまなぶ。帰国後,母校東京師範の校長,文部省視学官,奈良女高師初代校長をつとめた。昭和7年3月14日死去。73歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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