9月30日事件(読み)くがつさんじゅうにちじけん/9がつ30にちじけん

知恵蔵 「9月30日事件」の解説

9月30日事件

インドネシア現代史の一大転機を成したクーデター事件。これを機にスカルノからスハルトへと最高権力者が交代国政の基本方針も新旧植民地・帝国主義打倒から、経済開発政策へと大転換される。1965年9月30日の深夜、ジャカルタで陸軍左派が陸軍首脳7人を拉致、うち6人を殺害して革命評議会を結成した。陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトは直ちにクーデター派を鎮圧。その後、スカルノ大統領を支えていたインドネシア共産党がクーデターの陰の主役とされて大弾圧を受け、スカルノも容共派として権力をはく奪され、68年3月にはスハルトが正式に第2代大統領に就任した。党員や同調者とされた中国系住民を中心に約50万人が虐殺された。共産党は非合法化された。これで、アジアで最も早く1920年に創立され、64年頃には党員300万人、傘下組織2000万人を誇った前衛政党消滅。スハルトは国民の事件への記憶を意図的に操作し、30年余に及ぶ独裁体制構築に利用した。98年のスハルト失脚後に出回った、事件の首謀者の1人だったラティフ元中佐の軍法会議での上申書によれば、スハルトはクーデター計画に初めから関与しており、事件の本質はスハルトによる「闇のクーデター」だったという。

(片山裕 神戸大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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