20世紀西洋人名事典 「O.ラティモア」の解説
O. ラティモア
Owen Lattimore
1900.7.29 - 1989.5.31
米国の東洋学者。
ラティモア・モンゴル学研究所所長。
幼少時代を中国で過ごし、1920〜25年上海などで商業に従事。’25年に結婚、東トルキスタンに新婚旅行に出かける。その後、’34〜41年太平洋問題調査機関誌「パシフィック」編集長、’41〜42年蒋介石特別顧問などを経て、’45年国務省顧問として来日。’50年マッカーシーの赤狩りに巻き込まれて’63年アメリカを去り、イギリスに渡る。同年から’70年までリーズ大学教授を務めた後、パリのラテォモア・モンゴル研究所を設立、所長となる。主著に「西域の砂漠への道」(’29年)、「アジアの解決」(’45年)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報