日本大百科全書(ニッポニカ) 「V.」の意味・わかりやすい解説
V.
ぶい
アメリカの小説家トマス・ピンチョンの長編デビュー作。1963年刊。短編『低地』(1960)、『エントロピー』(1960)などで、科学的概念を核に、多様な芸術ジャンルからの自由な引用によって豊かな比喩(ひゆ)空間を築き上げたピンチョンは、この作品で、20世紀西洋の歴史の総体を一つのエントロピー増大システムに見立て、差異消滅、秩序崩壊、殺戮(さつりく)と退廃と無機物化の進行を、謎(なぞ)の女V.の跳梁(ちょうりょう)の飛跡として描出した。
歴史小説、探偵小説、ゴシック小説、ブラック・ユーモア、終末的SF小説の要素をあわせもつこの野心作は、さまざまな語りの手法のコラージュであるとともに、「V.とは何か」という探究を通して、認識とパラノイアをめぐる高度に抽象的なテーマを展開させる。「歴史をつかさどる力」のシンボルとして提示されるV.は、表面的には男性化・無機物化していく女神のイメージを伴うが、そのような具体的イメージは、情報の過剰によってつねに拡散させられ、その結果読者は意味の豊穣(ほうじょう)と意味の空虚とを同時に味わうことになるのである。この認識論的パフォーマンスは、次作『競売ナンバー49の叫び』(1966)でますます磨きがかかり、凝縮されていくことになる。
[佐藤良明]
『三宅卓雄他訳『V.』全2冊(1979・国書刊行会)』