英語でhumour(アメリカ英語ではhumor),ドイツ語でHumor,フランス語でhumeur,イタリア語でumore,これらの原語となっているのはラテン語のhumorである。本来この語は,ギリシアのヒッポクラテス以来の古い医学説によって人間の身体の中に流れていると考えられた,4種類の液体を指した。日本語で〈体液〉と訳されるこの4種類の液体とは,血液,粘液,胆汁,黒胆汁で,これらが適切な割合で混じっている状態が健康であり,ある種の体液だけが多くなって均衡が破れると,人間の気質に変化が生じると信じられていた。例えば黒胆汁が多い人はメランコリー気質となる。humorという語は,体液そのものから,体液の不均衡によって生じる特異気質を意味するようになり,さらにそうした特異気質をもつ人間,すなわち〈変り者〉をも意味するようになった。16世紀ごろのイギリスの劇作家ベン・ジョンソンは,humourという英語をそのように使っているし,彼の作品はしばしばcomedy of humours(気質喜劇)と呼ばれた。すなわち,特異な気質の人々を描いて笑いを誘う劇という意味である。そこからhumourの意味はさらに変わって,そのような笑いをつくり出す〈おかしみ〉を表す。明治期の哲学者井上哲次郎はこの英語を日本語に訳すに当たって〈性癖〉(後に〈性向〉と改める),〈滑稽〉〈詼謔〉〈俳趣〉などという語を当てている。英語,英文学に詳しい坪内逍遥は最初〈ヒューモル〉,明治20年代ごろから〈ユーモア〉という,どこの言語にもない日本独特の発音をもつ単語を使い,一般にこの呼び方が定着して今日に及んでいる。ただし外国文学者の中には,英語により忠実な〈ヒューマー〉を好む人もいる。
ユーモアとは何か,を学問的厳密さをもって論じることは不可能に近く,フランスの英文学者で,《イギリス・ユーモアの発達》(1930-52)という大著を書いたカザミアンLouis Cazamian(1877-1965)は,すでに1906年に〈なぜユーモアは定義できないか〉という論文を発表しているほどである。ユーモアは単なる笑い,滑稽,ひょうきんとは違うもので,そこに〈ペーソス(哀しみ)〉の要素が混じる,複雑できわめて矛盾に満ちたものである。理知的な〈ウィット〉やフランス語でいう〈エスプリ〉(通常〈機知〉と訳される)とは対照的に,ユーモアは感情的なものであり,矛盾や不条理を論理ではなく直観と常識で処理しようとする生活の知恵である。イギリスの作家J.B.プリーストリーが《イギリスのユーモア》(1976)で述べるところによると,ユーモアを構成する諸要素のうち,とくに重要なものは,(1)皮肉(アイロニー)を感じとれる能力,(2)〈ばからしさ(不条理)〉を感じとれる能力,(3)ある程度の現実感覚,(4)愛情,である。自分を客観視して笑いのめす余裕と,他者を完全に突き放すことなく愛情によって自分と結びつける能力を兼ね備えてこそ,真のユーモアの持主,すなわち〈ユーモリスト〉となれる。フランスのH.テーヌ,H.ベルグソン,前述のカザミアンなど,多くの学者,思想家は,イギリスこそ世界で最も優れたユーモリストを,最も多く生み出した国だと認めているが,その理由は上記により自明のこととなったであろう。
日本でも夏目漱石,坪内逍遥などの文学者,堺利彦などの社会主義者は,正しい意味でのユーモリストと呼ぶに値するが,彼らはイギリスの文学や文化に深い関心をもち,それから影響を受けた人たちであった。《吾輩は猫である》の著者漱石は,けっしてただ笑ったり,笑わせるだけの人ではなく,1905年東京帝国大学での18世紀英文学講義(後に《文学評論》として公刊)の中で,〈ヒューマーとは人格の根柢から生ずる可笑味〉と断言した。堺利彦は〈ユーモアとは決してノホホンを意味するものではない〉と述べて,積極的な社会改革を説き,その実践活動の一つとしてディケンズの《オリバー・トウィスト》の翻案《小桜新吉》(1911)を発表している。
執筆者:小池 滋
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人間の行動その他の現実の事象に対してそれをおかしみの面からとらえ、表現しようとする精神態度、ないしはそこに表現された滑稽(こっけい)さそのものをさす。もとは古代ギリシア以来の西欧の古典的医学用語で体液を意味するフモールhumor(ラテン語)に由来する。人間の体内には血液、粘液、黄胆汁(おうたんじゅう)、黒胆汁の4種の体液が流れており、これらの混合の度合いによって人間の性質や体質が決定されるとされた。近代になってしだいに気質、気分、とくに滑稽さやおどけへの傾向性のある気質の意味で使われるようになり、そこから現在の意味が生じた。現代の西欧諸言語のなかにもフランス語やドイツ語のように、これを英語を経由した形で使用しているものがあることからもわかるとおり、ユーモアは近代イギリスに特徴的な精神性に対応した特質と考えられている。
ユーモアはその対象となる人間等に対する同情、哀れみを含んだ情的寛容的性格を有し、この点で風刺の攻撃性とは対照的であり、またウイットwitやエスプリesprit(フランス語)のようなもっぱら理知的性格の能力である機知とも異なっている。ユーモアの場合でも、矛盾と不条理に満ちた現実を、鋭い人間観察の目を通して見つめていないのではない。しかしそのことを表に出さず、むしろ不完全な人間に宿命的なものとしてそのまま肯定するような態度で、愚かしきふるまいを本意ならずも演じざるをえない人間の姿を慈しむ心をもったものであり、そこに独特の滑稽さが生まれる。
日本では明治初期、戯謔(ぎぎゃく)とか俳趣といった訳語があてられたりしたこともあったが、英語本来の発音(ヒューマー)とはあわない「ユーモア」という呼び方が坪内逍遙(しょうよう)によって使い始められてから、これがしだいに定着していった。悲喜こもごものこの世界を一種の諦観(ていかん)にたって眺め、泣き笑いを催させるような人情味を添えて描き出すユーモアは、日本人の伝統的な滑稽感覚とも相通ずるところがあるといえよう。
[飯田年穂]
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…それと対照的にルネサンス時代の地中海沿岸地方から,明るい陽光と笑いにあふれた文学・芸術が導入された。この二つの異質の文化の潮流がぶつかり合ったところに生じた霧とでもいうべきものが,イギリスのユーモアであった。 真のユーモアとは,単なる滑稽感覚や笑いではない。…
…体液は,そのどれが優勢であるかによって,個人の心的特性を類型化する基準にもなり,ここから有名な四つの気質,すなわち,粘液質,血液質(または多血質),黒胆汁質,胆汁質ができあがった。恒常的な気質だけでなく,そのときどきの一時的な気分やきげんが,体液の状態によって規定されると考えたのも同じ発想で,その痕跡は体液のラテン語humorが西欧語に入って,文字どおり〈ユーモア〉の意味をとどめている点にもうかがえる。気質【宮本 忠雄】。…
…〈ハンプティ・ダンプティ〉のように,欧州各国に共通して見いだされる童謡もある。 遊び歌,数え歌,早口ことば,アルファベット歌,なぞ,短い物語など,さまざまな形の中に,ノンセンス,グロテスク,風刺,宇宙的感覚が満ちあふれていて,イギリス人独特のユーモアは幼年時代以来親しんでいるこれらの歌に培われるところが大きい。英語圏文化をよく理解するには,童謡の知識が不可欠といわれるゆえんである。…
※「ユーモア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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