… 室町幕府では,この事件後無涯亮倪(むがいりようげい)を朝鮮に派遣して実情をさぐらせた。朝鮮側ではこれに対して,20年回礼使宋希璟(そうきけい)を日本に送った。宋希璟は対馬で早田氏と,博多では九州探題渋川満頼と接し,京都に入って室町幕府と交渉した。…
…71年(建徳2∥応安4)九州探題として西下途中の今川了俊は,山の麓に家々が網を干す庭もないほど所狭く建ち並び,港には遠国の船が多く出入りしていると述べている。1420年(応永27)朝鮮使節の宋希璟は,往復ともにこの地に立ち寄っており,人家が海岸にびっしりと屋根を接し,寺々が山上まで重なり連なって建っている情景を記している。内海航路のみならず日明・日朝貿易においてもその一拠点となった。…
…朝鮮の官僚宋希璟の日本紀行文集。1巻。…
※「宋希璟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...