尭恵(読み)ぎょうえ

朝日日本歴史人物事典 「尭恵」の解説

尭恵

没年:明応7以降(1498)
生年:永享2(1430)
室町時代歌人。藤の坊と号す。尭孝高弟。天台僧で,加賀白山や青蓮院と関係が深く,東山道,北陸道の諸国を廻り『善光寺紀行』『北国紀行』を著している。明応1(1492)年には越後に在って代表作『古今抄延五記』を著述。晩年は京都に住し,二条派常光院流の後継者として重んぜられた。鳥居小路経厚,猪苗代兼載はその弟子。一条兼良,冷泉政為,白川忠富,細川成之,栄雅(飛鳥井雅親)ら多くの歌人と親しく,明応3年には昇殿を許されて勝仁親王,次いで後土御門天皇に『古今集』『愚問賢注』などの歌書を講じている。声点を重視する学風で二条派の正統を誇ったが,その門流は徐々に衰え,宗祇流に圧倒された。家集に『下葉和歌集』がある。

(田仲洋己)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尭恵」の解説

尭恵 ぎょうえ

1430-? 室町時代の僧,歌人。
永享2年生まれ。天台宗学僧。法印。二条派の歌人尭孝(ぎょうこう)について種々の口伝うけ,「古今抄延五記」など歌書の注釈執筆公家,武士,僧にわたるひろい交遊でも知られる。号は藤の坊。著作に「吾妻道記」「東国紀行」,家集に「下葉和歌集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android