林譲治(読み)ハヤシ ジョウジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「林譲治」の解説

林 譲治
ハヤシ ジョウジ


肩書
衆院議長,副総理,自由党幹事長

別名
俳号=林 鰌児(ハヤシ ジョウジ) 別号=林 寿雲

生年月日
明治22年3月24日

出生地
高知県宿毛市

学歴
京都帝大独法科〔大正7年〕卒

経歴
明治の自由民権の闘士で第1次大隈内閣の逓相をつとめた有造の二男。三菱倉庫に入社したが、高知県会議員を経て昭和5年の総選挙に出馬、当選、以来当選11回。6年犬養内閣の文相・鳩山一郎の秘書官となってから鳩山派幹部。戦後、第1次吉田茂内閣の書記官長大野伴睦幹事長とともに内政に暗い吉田を助けた。第2次吉田内閣の副総理兼厚相。以来、益谷秀次も加えて“党人派御三家”を称す。25年同改造内閣の経済安定本部長官、副総理、26年衆院議長。その後、自由党幹事長、総務を経て引退。鰌児と号し、俳人としても知られ、政治家と新聞記者を中心にした東嶺会を主宰。富安風生に師事し、句集に「古袷」がある。

没年月日
昭和35年4月5日

家族
父=林 有造(逓相) 長男=林 迶(参院議員) 二男=林 遉(宿毛市長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「林譲治」の解説

林 譲治
ハヤシ ジョウジ

昭和期の政治家,俳人 衆院議長;副総理;自由党幹事長。



生年
明治22(1889)年3月24日

没年
昭和35(1960)年4月5日

出生地
高知県宿毛市

別名
俳号=林 鰌児(ハヤシ ジョウジ),別号=林 寿雲

学歴〔年〕
京都帝大独法科〔大正7年〕卒

経歴
明治の自由民権の闘士で第1次大隈内閣の逓相を務めた有造の二男。三菱倉庫に入社したが、高知県会議員を経て昭和5年の総選挙に出馬、当選、以来当選11回。6年犬養内閣の文相・鳩山一郎の秘書官となってから鳩山派幹部。戦後、第1次吉田茂内閣の書記官長。大野伴睦幹事長とともに内政に暗い吉田を助けた。第2次吉田内閣の副総理兼厚相。以来、益谷秀次も加えて“党人派御三家”を称す。25年同改造内閣の経済安定本部長官、副総理、26年衆院議長。その後、自由党幹事長、総務を経て引退。鰌児と号し、俳人としても知られ、政治家と新聞記者を中心にした東嶺会を主宰。富安風生に師事し、句集に「古袷」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林譲治」の解説

林譲治 はやし-じょうじ

1889-1960 昭和時代の政治家。
明治22年3月24日生まれ。林有造の次男。高知県会議員をへて,昭和5年衆議院議員(当選11回,自民党)。戦後,第2・第3次吉田内閣の厚相・副総理。衆議院議長,自由党幹事長をつとめる。大野伴睦(ばんぼく),益谷秀次(ますたに-しゅうじ)とともに吉田茂門下の御三家とよばれた。昭和35年4月5日死去。71歳。高知県出身。京都帝大卒。俳号は鰌児(じょうじ)。句集に「古袷(あわせ)」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「林譲治」の解説

林 譲治 (はやし じょうじ)

生年月日:1889年3月4日
昭和時代の政治家;俳人。副総理;自由党幹事長
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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