重藤文夫(読み)シゲトウ フミオ

20世紀日本人名事典 「重藤文夫」の解説

重藤 文夫
シゲトウ フミオ

昭和期の医師 元・広島原爆病院長。



生年
明治36(1903)年4月13日

没年
昭和57(1982)年10月18日

出生地
広島県西条町(現・東広島市)

学歴〔年〕
九州帝大医学部〔昭和3年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
朝日賞(昭49年度),広島市名誉市民

経歴
昭和3年九州帝大医学部第一内科に入局、放射線診断を研究。14年山口赤十字病院レントゲン科医長兼理学療法科医長となり、15年白血病研究で博士号を取得。20年7月広島赤十字病院副院長兼内科医長に就任し、翌8月6日朝、広島駅近くで被爆したが、被爆者診療続行。23年広島赤十字病院長となり、31年からは併設の広島原爆病院長を兼務、50年に退職するまで被爆者治療と研究ひと筋に歩んだ。著書大江健三郎との共著対話 原爆後の人間」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重藤文夫」の解説

重藤文夫 しげとう-ふみお

1903-1982 昭和時代放射線科医
明治36年4月13日生まれ。山口赤十字病院レントゲン科医長をへて,広島赤十字病院副院長兼内科医長となる。赴任直後に被爆したが,他の被爆者の治療にあたる。昭和23年同病院長となり,併設の広島原爆病院長を兼務,広島原爆養護ホーム所長もつとめた。昭和57年10月18日死去。79歳。広島県出身。九州帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「重藤文夫」の解説

重藤 文夫 (しげとう ふみお)

生年月日:1903年4月13日
昭和時代の医師。放射線科;広島原爆病院長
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報