…1424年(永楽22)7月28日,モンゴリアへの第5次親征の帰途,楡林川(内モンゴル自治区多倫県の北西)の地で病没。北京の北方40kmの天寿山麓に葬られ,陵は長陵とよばれる。【寺田 隆信】。…
…高宗と則天武后を葬った乾陵は陝西省梁山に営まれ,まわりに二重の城壁を築き,四面に門を設け,朱雀門の南に石人石獣18対が配列され,これが唐代諸帝に模倣された。明十三陵は北京市北郊の天寿山の麓にあって,永楽帝を葬った最大の長陵は,直径約250mの円墳の前に,幅約150m,長さ約340mの区画を設けて祭殿が拡大された。清は基本的には明の陵制を踏襲している。…
…永固陵の北に孝文帝が高さ13mの円形で,毎辺約60mの方形の基底をもつ万年堂を寿陵として築いた。孝文帝は洛陽に遷都し,其地で新たに長陵を築いた。洛陽老城の北西15km,河南省孟津県官荘村東の大塚がそれに比定され,つづく宣武帝の景陵は塚頭村東大塚,孝荘帝の静陵は上砦村南大墓と考えられている。…
※「長陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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