三鷹市(読み)ミタカシ

デジタル大辞泉 「三鷹市」の意味・読み・例文・類語

みたか‐し【三鷹市】

三鷹

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日本歴史地名大系 「三鷹市」の解説

三鷹市
みたかし

面積:一六・五〇平方キロ

都のほぼ中央部に位置し、北は武蔵野市、東は杉並区・世田谷区、南は調布市、西は小金井市に接する。武蔵野台地に立地し、大部分は標高五〇―六〇メートル、比較的高低差の少ない平坦地であるが、南西部を南東流する川沿いは高低差一〇メートル前後の浸食谷が形成されており、調布市にかけて急崖となっている。南東部にも崖線があって、かつてはいくつかの湧水池があり、これらの湧水を集めて段丘下を古せん川が南東流していた。現在の仙川は上流が江戸時代に玉川上水から取水した品川しながわ上水と結ばれ、さらに第二次世界大戦後の河川改修で小金井市貫井ぬくいから開削された水路と結ばれている。北東端部の浸食谷には湧水池の井の頭いのかしら池があり、この池を水源とする神田川(神田上水)が武蔵野市・杉並区との境を南東流する。市域北端中央、武蔵野市との境界上にJR中央本線三鷹駅があり、北東部には京王帝都電鉄井の頭線の井の頭公園駅・三鷹台みたかだい駅がある。道路は東西に連雀れんじやく(都道恋ヶ窪―新田―三鷹線)人見ひとみ街道(都道府中―三鷹線)東八とうはち道路(主要地方道新宿―国立線)、南北に吉祥寺きちじようじ(都道武蔵野―狛江線)・三鷹通(都道武蔵野―調布線)武蔵境むさしさかい(主要地方道調布―田無線)天文台てんもんだい(都道境―調布線)などが通り、南東部を中央自動車道が通る。

〔原始〕

後期旧石器時代の姶良丹沢パミス降下以前の丸池まるいけ遺跡や羽根沢台はねさわだい遺跡があり、ナイフ形石器の全盛期では礫群や石器ユニットなどが市域の多数の遺跡から発見されている。縄文時代草創期では井の頭池遺跡群Aや北野きたの遺跡の隆線文系土器が注目され、早期前半期の夏島・稲荷台式期に天文台構内てんもんだいこうない遺跡の大型住居跡を例に定住の兆しがみえる。また終末期では撚糸文系の南関東土器編年の標式である滝坂式土器で知られる滝坂たきさか遺跡がある。後半期の条痕文系では住居跡や炉穴が北野遺跡などから発見され、古八幡ふるはちまん遺跡内の旧河道域からは摩耗したおびただしい量の前期諸磯式土器が発見された。遺跡数が急増するのは中期で、そのうち初頭期のはら遺跡、勝坂期から加曾利E式期では仙川流域の第五中学校だいごちゆうがつこう遺跡や対岸の北野遺跡があり、それに井の頭池を取囲む井の頭池遺跡群はいずれも武蔵野台地屈指の拠点集落の性格をもつ。中期末から後期では坂上さかうえ遺跡からの中津式土器出土の例や、都指定文化財の土瓶形注口土器が出土した出山でやま遺跡があり、丸山まるやま遺跡A・Bは後半期の土壙や廃棄の場などで知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三鷹市」の意味・わかりやすい解説

三鷹〔市〕
みたか

東京都中央部,武蔵野台地上にある市。 1950年市制。江戸時代は原野で,将軍家の御鷹場として利用されていたのが地名の由来。江戸時代初期玉川上水が開削され,また明暦の大火で罹災した江戸神田連雀町 (現須田町) の住民が移転して新田を開発した。現在の上連雀,下連雀の地名はその名残りである。大正末期から住宅が増え,1930年中央線三鷹駅が開設された。第2次世界大戦中に進出した航空機製造工場を基盤にした工業もみられる。大規模な住宅団地,民間の宅地造成が活発に行われ,人口が増加した。国立天文台,都立井の頭恩賜公園などがある。 JR中央線,京王電鉄井の頭線が通る。面積 16.42km2。人口 19万5391(2020)。

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