日本歴史地名大系 「武蔵野台地」の解説
武蔵野台地
むさしのだいち
関東平野を構成する台地のうちの関東西部を占める洪積台地で、東京都と埼玉県にまたがっている。台地表面は関東ローム層で覆われ、その下部に厚い砂礫層と粘土層が堆積し、基盤はおおむね凝灰岩から構成されている。台地の地形発達史を探ると、はじめに関東山地から流れ出た河川は、山麓に広大な扇状地を造り上げ、その後、地盤が隆起し、表面を火山灰(関東ローム層)が五―一〇メートルの厚さで覆ってでき上がっている。表土の下は厚い砂礫層のため、地下水が浸透しやすい。このため地下水面が低く、乏水性台地として長い間水に恵まれず、開発が遅れていた。その間の事情は堀兼井(ほりかねい)伝説にみられ、武蔵野の旅人や住民を苦しめた。
〔歌に詠まれた武蔵野〕
「万葉集」巻一四に「武蔵野の草は諸向きかもかくも君がまにまに吾は寄りにしを」「わが背子を何どかも言はむ牟射志野のうけらが花の時無きものを」と武蔵野を詠んだ歌が収められる。中世には歌枕として「能因歌枕」「和歌初学抄」などの歌学書にとりあげられ、「古今集」に収める「むらさきのひともとゆゑにむさしのの草はみながらあはれとぞみる」(読人知らず)など、多くの和歌に詠まれた。また、建永二年(一二〇七)の大納言久我通光の和歌に「行すゑのながめははてもなかりけり霞ぞあくるむさしのゝ原」(最勝四天王院障子和歌)とあり、正安三年(一三〇一)成立の「宴曲抄」に「武蔵野はかぎりもしらずはてもなし」と謡われているように、広大な原野として有名であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報